佐倉侠史朗の中学は?当時の成績や練習方法がやばい!

「佐倉侠史朗の中学はどこなの?」

「佐倉侠史朗の中学時代の成績が知りたい」

 

高校野球の九州国際大付属の4番といえば佐倉侠史朗(きょうしろう)選手ですよね。

1年生の秋から4番に座るプロも大注目の選手です。

身長182cmで体重はなんと104kgと今すぐにでもプロになれそうな体格をしています。

 

そんな佐倉侠史朗選手の中学時代って気になりますよね。

どこの中学で、成績はどうだったのか知りたい方多いと思います。

 

そこで今回は佐倉侠史朗選手の中学や、当時の成績など調査していきましょう。

 

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佐倉侠史朗の中学は?

 

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佐倉侠史朗選手の出身中学は福岡県にある久留米市立宮ノ陣中学校です。

 

野球の強豪校として知られていますが、佐倉侠史朗選手は中学の野球部には所属せず、硬式のクラブチーム『球道ベースボールクラブ』に所属していました。

球道ベースボールクラブの監督を務めるのは元プロ野球選手でダイエーホークスの選手だった後藤将和さんです。

OBには西武ライオンズの高木渉選手がいる強豪チームです。

 

佐倉侠史朗選手は小学1年生の頃から野球をしていて、そのころの所属は軟式野球の『宮ノ陣フラワーズ』でした。

佐倉侠史朗選手は小学1年生の頃からすでに外野に飛ばしていたというから驚きです。

 

普通の小学1年生ならダイヤモンドまで飛せたら上出来だと言います。

小学1年ですでに規格外だったということですね。

 

4年生の頃から6年生中心のトップチームで4番を打っていました。

野球の強豪である中学に入っても別の強豪クラブチームに所属したのは納得ですね。

 

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佐倉侠史朗の中学時代の成績は?

 

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佐倉侠史朗選手は中学時代も4番としてチームの打撃の中心にいました。

佐倉侠史朗選手の中学時代の主な成績は以下の通りです。

1年

九州選手権秋季九州北部地区ダイヤモンド大会 優勝

フレッシュリーグ1年生大会 準優勝

2年

少年硬式野球春季福岡大会 優勝

全国大会のジャイアンツカップに出場 1回戦で敗退

理事長旗争奪中学硬式野球大会 優勝

3年

メモリーズカップ中学3年生大会 準優勝

地元の大会ではほぼ優勝と準優勝という強さを見せつけていたようです。

全国大会には1回戦で敗退していますが、出場経験があります。

 

監督からは「強いスイングを身につけるように」と指導されたそうで、佐倉侠史朗選手が練習で使っていたバットは1400gもあったんだとか。

高校野球の規定ではバットは900g以上となっていて多くの選手が下限に合わせているようです。

 

中学生の佐倉侠史朗選手がそれより遥かに重い1400gで日々練習をしていたのでこれほどのパワーがついたのでしょうね。

ちなみに佐倉侠史朗選手の好きな言葉は『継続は力なり』だそうです。

まさに有言実行ですね。

 

佐倉侠史朗選手は中学時代に別の選手の視察に来ていた九州国際大付属の監督に注目されて声をかけられています。

このことがきっかけで九州国際大付属に進学することになりました。

そりゃ中学でこの体格で注目されない方がおかしいですよね(笑)

 

佐倉侠史朗選手といえば独特のフォームが特徴的です。

 

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バットを高く上げて、右足はマウンド側へ開き、体全体を沈ませる形は憧れである西武の森友哉選手やヤクルトの村上宗隆選手を参考にしたフォームだそうです。

本人は「踏み込んだときに目線がブレないように」と監督やコーチと研究したものだそうです。

 

ただこのフォームになったのは高校に入ってからと思われます。

中学ですでに4番に座り活躍していたのに、まだまだと向上心があり素晴らしいですね。

 

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佐倉侠史朗の中学まとめ

今回は佐倉侠史朗選手の中学や当時の成績などをお伝えしてきました。

小学校では軟式野球のチーム『宮ノ陣フラワーズ』に所属していました。

中学では硬式野球のチーム『球道ベースボールクラブ』に所属して4番をまかされます。

地元の大会では常に上位に入賞する活躍だったようですね。

 

重たいバットで練習を重ねたことで今野パワーを身につけてきました。

恵まれた体格と、もっと飛ばしたいという向上心でこれからも活躍して欲しいですね。

期待しましょう。