小栗大地の事故の詳細は?前後の経歴も驚愕

「小栗大地の事故ってどんなものだったの?」

「小栗大地の事故の前は何してた?」

「小栗大地の事故の後の経歴が知りたい」

 

北京パラリンピックのスノーボードでメダル候補と言われているのが小栗大地選手。

32歳の時に事故に遭い、右足を失いましたが大好きなスノーボードで念願のパラリンピッック出場を果たしたのです。

 

そんな小栗大地選手の事故の詳細とはどんなものだったのかきになる方もいらっしゃると思います。

さらに事故にあう前の経歴や、事故の後からパラリンピッック出場までの経緯など知りたいですよね。

そこで今回は小栗大地選手の事故の詳細や事故前の経歴、パラリンピック出場までの軌跡を調査していきましょう。

 

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小栗大地の事故の前は?

さっそく小栗大地選手が事故にあう前の経歴からみていきましょう。

小栗大地選手は1981年生まれで2022年で41歳になります。

名古屋市の生まれです。

 

小栗大地選手は小学校5年生でスノーボードに出会いました。

世界で通用する選手になるために留学も経験しています。

25歳でプロになりました。

 

その後は国内大会でも入賞するほどの実力をつけていきます。

日本トップクラスのプロスノーボーダーとして活躍しました。

 

しかし小栗大地選手が30歳の時に成績が伸びなくなってきます。

大会に出ても上位に入ることができなくなりました。

 

当時は用具提供のスポンサーはついていましたが、競技をする上での金銭的なサポートはなく、スノーボードだけでは食べていけないという現実がありました。

そこでパチンコ店でアルバイトをしながら競技を続けます。

夏にバイトしてシーズン中はプロ活動といったサイクルで活動しました。

 

しかし両立は簡単ではなく、練習の時間はどんどんなくなり、競技自体への意欲がなくなっていきました。

そして競技からは引退して就職することを決意したんです。

 

小栗大地選手は金属加工工場に就職しました。

名古屋市にある『三進化学工業』という会社です。

 

入社した頃は現場作業でほぼ外仕事だったといいます。

スノーボード自体は好きで土日に滑る程度になっていました。

 

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小栗大地の事故の詳細は?(ショッキングな内容を含みますので苦手な方は飛ばしてください)

 

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小栗大地選手が金属加工工場である『三進化学工業』に入社して3年目の2013年8月、32歳の時でした。

作業中に重さ2tの鉄板の束が足の上に落下してきたんです。

小栗大地選手はその下敷きになってしまいました。

 

幸い意識もありすぐに起き上がれましたが、右足の感覚がなかったそうです。

これは変な方向に曲がっているなと思い見てみると、離れたところに右足が転がっていたそうです。

なんとも衝撃的な話ですね。

 

小栗大地選手はその瞬間『これは右足はなくなるな』と覚悟したそうです。

そして救急車を待つ間に考えていたことが驚きでした。

「義足をつけてスノーボードできるかな」

 

小栗大地選手は病院についてすぐ手術をしましたがお医者さんからは「もう足はくっつきません」と言われました。

小栗大地選手は意外と冷静にその事実を受け止めることができたといいます。

とにかくスノーボードできるかなと考えていたというから驚きですよね。

 

小栗大地選手はいつ復帰してもいいように入院中からトレーニングしていました。

片足で自転車を漕いだりして汗を流したそうです。

 

しかしそのせいで傷口が腐ってしまい再手術をしたといいます。

後から考えると無理をしすぎていたそうです。

普通だったらショックでしばらく立ち直れないと思いますが、小栗大地選手の場合は並大抵の精神力ではなかったんですね。

 

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小栗大地の事故の後は?

 

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右足を失ってからは『人が経験したことない経験をしてみたい』という思いが常にあった小栗大地選手。

それは意外にもワクワクしたものだったそうです。

「義足でスノーボードできるかな、もう一度プロスノーボードに挑戦したいな」という思いがふつふつと湧いていたといいます。

 

なんと事故から2週間で義足が完成しました。

しかし入院中にトレーニングのしすぎで傷口が腐り再手術をしたので形が変わってしまい作り直してもらったそうです。

そこから1ヶ月後ぐらいに歩行用の義足が完成しました。

 

そして事故からわずか4ヶ月後に歩行用の義足をつけてスノーボードに乗ってみました。

とにかく展開が早いですよね(笑)

 

小栗大地選手は始めての義足での滑走で転ぶことなく滑り切れたそうです。

当時の思いを「また一からスノーボードに挑戦できるなんてワクワクした」と語っています。

しかもちょうどその頃はソチパラリンピックの時期でスノーボードが正式種目として認定されたことで俄然やる気になったといいます。

 

さらに希望になったのはアルペンスキーヤーの三澤拓(ひらく)選手だったそうです。

2006年のトリノパラリンピックから3大会連続で出場している三澤拓選手をみて、自分にもできるのではないかと思えたといいます。

もともと健常者の頃から三沢拓選手のことは知っていたということで、だからこそ足を切断した瞬間も冷静でいられたのではないかと振り返っています。

 

2016年からワールドカップにも挑戦しました。

2018年1月のワールドカップでは3位に入賞。

 

ついに念願の平昌パラリンピックに出場を果たしました。

結果はバンクドが6位でクロスが7位です。

小栗大地選手はまだまだいけると感じました。

 

課題としてはスタンスの問題でした。

もともと左足が前のレギュラースタンスだった小栗大地選手。

スノーボードは後ろ足が結構重要で力がいるのも後ろ足だそうです。

 

それを改善するため右足前のグーフィースタンスに切り替えることにしました。

勝つための努力は惜しまない!

小栗大地選手のストイックさが伝わってくるエピソードですよね。

 

ちなみに小栗大地選手のこだわりはウェアを膝上で切って義足を剥き出しにすることです。

理由は『足がなくてもなんでもできる』ということを色々な人に知ってもらいたいという思いからです。

同じように足を失ってしまった人への希望にもなるでしょうね。

 

小栗大地選手は北京パラリンピックでのメダル獲得ももちろん目標ですが、次の2026年ミラノ・コルティナ大会への出場も目指しています。

小栗大地選手の挑戦はまだまだ続くんですね。

楽しみです。

 

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小栗大地の事故まとめ

今回は小栗大地選手の事故についてお伝えしてきました。

事故の前、事故の詳細、事故の後と小栗大地選手の経歴を見てきましたが、一貫してスノーボードが1番にありますよね。

 

それほど小栗大地選手にとってスノーボードはかけがえのない存在でどんな状況でもあきらめないという強い気持ちをもたらしてくれる競技なんでしょうね。

2度目のパラリンピックで悲願のメダルを獲得してほしいですね。