中村直幹(なおき)の中学や高校など学歴は?小学校では野球に夢中だった

「中村直幹の中学や高校や大学はどこ?」

「中村直幹の学歴や当時のエピソードが知りたい」

 

スキージャンプで初めてのオリンピック出場を決めた中村直幹(なおき)選手。

『オリンピックで金メダルを取ること』がずっと夢だったと言います。

 

そんな中村直幹選手の学歴が気になる方もいると思います。

今回は中村直幹選手の小学校や中学、高校や大学がどこなのか、当時のエピソードなども調べました。

 

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中村直幹の小学校は大倉山小学校

中村直幹選手は1996年9月19日に北海道札幌市で生まれました。

中村直幹選手が通った小学校は札幌市立大倉山小学校です。

住所は中央区宮の森になってますので、おそらく中村直幹選手の実家もこの辺りなんでしょうね。

近くに大倉山ジャンプ競技場があります。

体験会に参加したことをきっかけに小学校5年生の時にスキージャンプをはじめました。

 

ただ当時、野球が大好きだった中村直幹選手は将来はプロ野球選手になるのが夢でした。

なのでスキージャンプを楽しんではいましたが、本腰は入れていなかったようです。

当時のコーチも「直幹が一番最初にやめると思っていたよ」と語るほどです(笑)

 

当時の最大の目標は『痩せること』だったそうで、太っていたようですね。

 

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中村直幹の中学は宮の森中学校

中村直幹選手の中学校は札幌市立宮の森中学校です。

山に囲まれていて、自然が溢れる住宅街にある学校です。

野球が大好きで将来はプロ野球選手という夢を持っていた中村直幹選手ですが、肘を痛めてしまい野球は断念してしまいます。

 

本格的にジャンプを練習し始めたのはそれからだったそうです。

野球を諦めることになりスキージャンプにどんどんのめり込んで行きました。

中学3年では全日本ジュニアの代表に選出されています。

 

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中村直幹の高校は東海大附属第四高校

中村直幹選手の高校は東海大学附属第四高等学校です。

現在の高校名は東海大学附属札幌高等学校になっています。

中高一貫の私立の高校で、多くの有名人も卒業しています。

長野オリンピックで金メダルをとった里谷多英さんや、ジャンプの原田雅彦さん葛西紀明さんも卒業生です。

偏差値は50〜58となっています。

 

中村直幹選手の高校時代は1年生の時に宮様スキー大会交際競技会に出場しました。

これが初の国際大会で結果は36位、48位です。

 

3年では札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会で優勝していますが、中高合わせて優勝したのはこの1回だけでした。

高校まではなかなか苦労されていたんですね。

他には伊藤杯サマーファイナルで3位という成績も記録されています。

 

高校3年で世界ジュニア選手権に出場を果たしていますが、代表争いをする中で「より強くなりたい」と思うようになったそうです。

練習にも主体的に取り組むようになっていきました。

 

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中村直幹の大学は東海大学

中村直幹選手の大学は東海大学に進学しました。

中村直幹選手は1年で出場した伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会では2本目に最長不倒の128mで成年組としては初優勝を果たします。

ワールドカップ札幌大会にも初出場しました。

 

中村直幹選手の2年生では

  • 全日本スキー選手権ノーマルヒル優勝
  • HBCカップジャンプ競技会優勝
  • 宮様スキー大会ノーマルヒル優勝
  • 伊藤杯シーズンファイナル連覇

と国内の大会で勝ちまくっています。

 

さらにアルマトイで行われた2017年冬季ユニバーシアードのスキージャンプ男子個人でも優勝するなど絶好調で飛躍した年でした。

 

中村直幹選手の2018ー2019シーズンはワールドカップの開幕から海外遠征メンバーに選出されました。

スーズン中ワールドカップに出場し続けて、結果は総合39位で世界選手権のメンバーにも初選出されます。

大学時代で一気に開花した感じですね。

 

大学を卒業した中村直幹選手は競合実業団から誘われていたそうですが、辞退して会社を立ち上げています。

地球温暖化や環境問題に取り組む会社で、『フライング・ラボラトリー』という会社名です。

会社の社長とスキージャンプ選手として両立を図っています。

 

まとめ

今回は中村直幹選手の学歴についてお伝えしてきました。

中村直幹選手の学歴は以下の通りでした。

  • 小学校:大倉山小学校
  • 中学校:宮の森中学校
  • 高校:東海大学附属第四高等学校
  • 大学:東海大学

 

中学と高校合わせても優勝は1回だけということで、少年組の頃はなかなか目立った成績が残せていなかったようですね。

しかし大学に入って一気に花開いたようで、相当努力をされてきたのでしょう。

 

夢である『オリンピックで金メダル』をぜひ実現して欲しいと思います。