「新濱立也の両親や兄弟について知りたい」
「新濱立也の父や母の職業は?」
間も無く開催される北京オリンピック。
スピードスケートで念願のオリンピック出場を決めたのが新濱立也(しんはまたつや)選手。
前回の平昌では選考会で4位になり惜しくも代表入りを逃し、悔しい思いをしただけに今大会への思いは強いはずです。
そんな新濱立也選手の家族について知りたい方も多いはずです。
新濱立也選手がどんな家族に囲まれて育ってきたのか興味ありますよね。
そこで今回は新濱立也選手の両親や兄弟について調査していきます。
新濱立也の両親は?
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新濱立也選手の両親に関してはネット上をくまなく探しましたが、名前や年齢などの情報は得ることができませんでした。
しかし新濱立也選手の両親である父と母のそれぞれのエピソードについてはインタビューなどでちらほら聞けましたので紹介しますね。
新濱立也の父は漁師
新濱立也選手の父の職業は漁師ということで、実家は漁業を営んでいます。
新濱立也選手はインタビューで『尊敬する人は父』と答えていました。
小学生のころの新濱立也選手の夢は実家の漁業を継ぐことだったそうなので、よほどいい親子関係なのがわかりますね。
漁師ということで朝はものすごく早いそうです。
しかし漁から帰ってくる新濱立也選手のお父さんはいつもケロっとしていたといいます。
実にタフなお父さんなんですね。
新濱立也選手は父の影響で小さいころから、鮭や帆立といった魚介類をたくさん食べていました。
中でもよく食べたのが北海道名物の『鮭のちゃんちゃん焼き』です。
ホットプレートに鮭とキャベツや玉ねぎなどの野菜をドカーンと入れて味噌ベースのソースを絡める料理で、実は我が家でもよく作ります(笑)
お父さんは新濱立也選手のことをすごく応援してくれています。
中学までは自宅から25キロほど離れている練習場まで送ってくれていました。
きっと初のオリンピック出場も喜んでくれているでしょうね。
新濱立也の母は?
新濱立也選手の母の職業は不明でした。
しかし実家が漁業を営んでいるということですので、新濱立也選手のお母さんもお父さんと一緒に仕事していらっしゃるのではないかなと思われます。
新濱立也選手のお母さんとのエピソードといえば、小学校6年の出来事でしょう。
3歳のころからスケートを始めて、大会に出れば記録更新や優勝を積み重ねてきた新濱立也選手。
小学校3年生まではなんと無敗だったというほど、天才少年だったそうです。
しかしそれが高学年になってくると、着々と力をつけてきたライバルに負け始めます。
6年生の時、とうとう入賞すらできなくなってしまいました。
それまで楽しくてしょうがなかったスケートが勝てないことで楽しくなくなり、新濱立也選手は母に「スケート辞めたい」と話します。
そこで母は「中3まではやりなさい」と助言したといいます。
そこから気持ちを入れ替えてこれまで以上に練習に本気で取り組むようになりました。
そして徐々に結果がでていき、楽しさを再認識できたといいます。
きっと新濱立也選手のお母さんは、勝てないからという理由で逃げて欲しくないという想いがあったのではないでしょうか。
辛くてもやり遂げてほしいという願いから発した言葉だったかもしれませんね。
新濱立也選手の母の助言のおかげでスランプの時期を乗り越えられたんですから、母はやはり偉大ですね。
ちなみに新濱立也選手のおふくろの味は『いくらの塩漬け』だそうです。
小さい頃からよくリクエストしていたといいます。
お母さんとも仲がよさそうで、素敵です。
新濱立也の兄弟は兄と姉
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新濱立也選手の兄弟は兄と姉です。
兄は2歳年上ということはわかっています。
姉の年齢は調べてもわかりませんでした。
新濱立也選手は兄の影響で3歳からスケートを始めています。
ということは新濱立也選手のお兄さんもスケート経験者なのでしょう。
残念ながら兄弟にかんしての情報は本当に乏しく、兄弟とのエピソードなどは知ることはできませんでした。
しかし新濱立也選手は3兄弟の末っ子ということできっと可愛がられて、時にはいじられながら?育ってきたのではないでしょうか。
末っ子の活躍にお兄さんもお姉さんもきっと誇りに思ってくれているでしょうし、応援してくれているはずです。
新濱立也の家族まとめ
今回は新濱立也選手の両親や兄弟についてお伝えしてきました。
新濱立也選手の父は漁師で、尊敬する人にあげているほど仲がいいようです。
新濱立也選手の母には勝てずに苦しい時に助言をもらい、乗り越えることができました。
兄弟に関しては情報がなく、詳細はわからず残念でした。
北京オリンピックで活躍すれば、兄弟の情報もいろいろでてくるかもしれませんね。
ぜひがんばってほしいです。
応援しましょう。