「坂本誠志郎の父や母はどんな人?」
「坂本誠志郎の兄弟は?野球してるの?」
阪神タイガースに所属している坂本誠志郎選手。
捕手としては正捕手である梅野隆太郎選手に次ぐ2番手としての出場が多いですが、2022年からはチームのキャプテンも務めています。
ダルビッシュからは『日本人捕手で組みたい人』の一人に名前が上がっているほど信頼のアツい選手でもあります。
そんな坂本誠志郎選手の家族について気になっている方も多いのではないでしょうか。
父や母はどんな人なのか、兄弟はいるのか、野球をしているのかなど知りたいですよね。
そこで今回は坂本誠志郎選手の父や母、兄弟など家族について調査していきましょう。
坂本誠志郎の父は?
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坂本誠志郎選手の父は坂本龍二さんといいます。
年齢は2022年で60歳と還暦を迎えるようです。
職業は消防士で、1995年の阪神・淡路大震災の時には甚大な被害のあった被災地で救助活動などに当たった経験もあります。
坂本誠志郎選手がドラフト2位指名を受けた2015年頃は南但消防本部に勤務しているとの情報がありました。
ドラフト会議当日の朝は仕事を終えた後、朝来市の当勝神社に参拝に行き、「勝負の神様。息子の希望をかなえて」とお祈りしたそうです。
スキーが得意で坂本誠志郎選手が小学校の頃は学校が終わってからナイタースキーに一緒に出かけていたといいます。
また野球経験もあるとのことで坂本誠志郎選手が所属していたチームのコーチも務めるほどの実力の持ち主でした。
さらに小学5、6年の頃は坂本誠志郎選手の父が監督だったそうです。
坂本誠志郎選手の父は当時を振り返るインタビューで次のように語っています。
「子どもの頃から負けず嫌いで、一生懸命練習をしていた。駆け引きや作戦に子どもながら優れ、戦術などに強い関心を持っていたので、周囲の保護者から『小監督』と呼ばれていた」
子供の頃から周りを見る力、状況を見て自分で考えて判断する力がすごかったようですね。
坂本誠志郎の母は?
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坂本誠志郎選手の母は坂本啓子さんといいます。
年齢は2022年現在で61歳ごろと思われます。
職業は会社員です。
母は坂本誠志郎選手が少年の頃はとにかくよく食べたと振り返っていました。
坂本誠志郎選手の母も『食べ過ぎでは?』とあまりにも心配して途中で取り上げることもあったそうです。
しかし坂本誠志郎選手は泣き出していたといいます(笑)
よっぽどお母さんの料理がおいしかったんでしょうね。
ドラフト会議の日も坂本誠志郎選手の母は仕事でしたが、「一日中仕事に集中できなかった。本人よりもドキドキしていた」と語っています。
ドラフトで阪神から2位指名を受けた時には「信じられない。まさか指名されるなんて」と戸惑いながらも喜んでいました。
坂本誠志郎の兄弟は?
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坂本誠志郎選手の兄弟には兄がいます。
名前は坂本剣志郎さんで、年齢は2歳上です。
坂本誠志郎選手の兄も小さい頃から野球を始めています。
小学校時代は同じ『養父カープ』というチームに所属していました。
兄は投手、坂本誠志郎選手は小学3年生から捕手でした。
好投手として活躍していた兄とバッテリーを組んで但馬地域の大会で優勝も経験しています。
当然地元では『兄弟バッテリー』と有名になり取材も受けたそうです。
試合に勝った日はお互いに褒め合うのかと思いきや逆でした(笑)
兄は「俺のピッチングがよかったんだ」といいます。
すると坂本誠志郎選手は「お兄ちゃんは投げてるだけでしょ。僕のリードのおかげだね」と返していてまるで兄弟漫才を見ているかのようだったと両親は振り返っています。
とにかく仲が良く、練習が休みの日などはテレビで一緒にスポーツ観戦をするのが日課でした。
野球に限らずバスケやサッカーなどスポーツ全般を観戦するのが好きだったそうです。
しかもただ見るだけじゃなく、この場面ならこうする、ああするなど意見を言い合いながら見ていたといいます。
坂本誠志郎選手の兄は中学では地元の養父中学校の野球部に所属しました。
そしてエースとして活躍しています。
坂本誠志郎選手とは2学年違うので3年生のエースと新入部員の捕手がバッテリーを組めることはありませんでした。
中学時代エースとして活躍した坂本誠志郎選手の兄は高校では県内でも強豪校として知られる報徳学園に進学しました。
一人暮らしをしながら野球を続けて周りからの期待も大きかったようです。
しかし全国大会常連の強豪校でレギュラーを掴むことは想像以上に大変なことでした。
練習量や厳しさ、ライバルたちの実力の高さに、入学数ヶ月で6キロ体重が落ちるほど心身が消耗していったそうです。
それでも3年間逃げることなく野球を頑張り続けました。
一度も背番号を与えられないまま、学校として3度出場した甲子園でもアルプス席から声援を送るのみで高校野球生活を終えました。
この兄の経験があったからこそ、坂本誠志郎選手は気持ちに変化があったようです。
ずっとエースで活躍してきた兄ですらレギュラーを掴めない強豪校の厳しさを目の当たりにして、このままではダメだと肉体改造などに取り組むきっかけになっていったといいます。
さらに好奇心で色々なポジションを経験していた坂本誠志郎選手は『生き残るには捕手しかない』と決断しました。
坂本誠志郎の家族まとめ
今回は坂本誠志郎選手の父や母、兄についてお伝えしてきました。
父は消防士で、野球経験もあることから少年野球で子供たちを教えるほどの実力の持ち主だったんですね。
さらに兄も報徳学園という強豪校に進むほどの実力の持ち主でした。
兄の貴重な経験から、練習方法や肉体改造などに取り組むことになった坂本誠志郎選手。
今の坂本誠志郎選手があるのも家族のおかげという部分は大いにあるのではないでしょうか。
これからも活躍して家族を喜ばせてあげてほしいですね。