鍬原拓也の母は?貧乏だった?兄妹は妹で舞台女優?

「鍬原拓也の母はどんな人?」

「鍬原拓也が貧乏だったって本当?」

「鍬原拓也の兄妹は?」

 

プロ野球選手の鍬原拓也(くわはらたくや)選手。

2017年のドラフト1位で巨人に入団しました。

期待されつつも2度の育成契約も経験しています。

2022年シーズンは現在のところ3勝を挙げていてこれから本当に活躍が期待される若手です。

 

そんな鍬原拓也選手の母は一体どんな人なんでしょうか。

さらに貧乏だった?との情報もあります。

鍬原拓也選手が幼少期にどんな生活を送っていたのかも気になりますよね。

 

そこで今回は鍬原拓也選手の母や兄妹、貧乏だった生活について調査していきましょう。

 

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鍬原拓也の母は?

 

 
 
 
 
 
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鍬原拓也選手の母は佐代子さんといいます。

年齢は2022年現在で53歳です。

 

鍬原拓也選手の母は木村拓哉さんの大ファンということです。

それに加え『自ら道を切り拓いてほしい』という想いで息子に『拓也』と名付けたんだとか。

 

鍬原拓也選手の母は鍬原拓也選手が3歳の時に父とは離婚しました。

それからは女で一つで必死に育ててくれたそうです。

 

職業は食器の検品作業のパートでした。

経済的にかなり苦しく、母は自分にお金を使うことはなかったそうです。

服も息子である鍬原拓也選手のTシャツなどをお下がりとして着ていました。

 

野球を始めた頃の鍬原拓也選手が、父とキャッチボールをする友達を見て「ええな」と呟いたことがありました。

するとそれを見た母は「お母さんとキャッチボールしようか」と言ってくれました。

 

そこからいつも練習相手は母でした。

夜仕事から帰ってくると母はバットを持って練習相手になってくれたそうです。

そんな母の姿に鍬原拓也選手は『プロ野球選手になってお母ちゃんに楽させてあげる』という夢ができました。

 

鍬原拓也選手は中学時代に右肘に怪我をして野球を諦めかけたことがありました。

その時に鍬原拓也選手の母は、引き止めようとした野球部の関係者に「お願いです。この子に野球続けさせて下さい。この子は本当に優しい子なんです。家が貧乏だから気を使ってるだけなんです。」と訴えました。

 

鍬原拓也選手にも「お願い!野球続けて!お金ないからって、大事な夢諦めたらあかん!お母さん、もっと働く!お金は何とかする。拓也が夢叶えることがお母さんの夢やの!」と懇願して鍬原拓也選手は高校でも野球を続ける決意をしたそうです。

涙無くしては見られないエピソードですよね。

 

そんな優しく頼もしい母のことが鍬原拓也選手は大好きです。

大学時代には母の好きな『紫色』のグラブを使っていました。

 

グラブには『親孝行』という刺繍を入れていたそうです。

実際の画像も見つかりました。

画像

 

そしてプロ入りが決まって新調したグラブにも刺繍の色は紫を使っています。

 

ドラフト会議で巨人から1位指名を受けたとき契約金はなんと1億円でした。

鍬原拓也選手は「契約金で母にマンションの部屋を買ってあげたい」と使い道について明かしています。

 

さらに「僕は物欲がないので。これからどんどん親孝行していきたい」と話していました。

誰よりも強い絆で結ばれた親子ですね。

 

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鍬原拓也の兄弟は?

 

 
 
 
 
 
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鍬原拓也選手は2人兄妹です。

妹がいます。

 

名前は愛奈さんと言って画像もありました。

鍬原拓也は母子家庭で貧乏だった?妹は舞台女優?中学時代は ...

鍬原拓也は母子家庭で貧乏だった?妹は舞台女優?中学時代は ...

ネットでは女優の仲里依紗さんに似てるとの声もあります。

可愛らしい女性ですよね。

 

現在は舞台女優を目指して奮闘中とのことで、ぜひ活躍してほしいですよね。

 

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鍬原拓也は貧乏だった?

 

 
 
 
 
 
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鍬原拓也選手は3歳までは父方の姓を名乗っていましたがその後、両親が離婚しています。

鍬原拓也選手と母と妹は3人で母の実家のある奈良県御所市に転居しました。

 

住居は築50年で家賃4000円の平屋の市営住宅でした。

6畳の部屋が2つと倉庫を改造した12畳の部屋がありました。

親子3人で川の字になって寝ていたそうです。

 

経済的にはかなり苦しく貯金を切り崩しての生活だったため、かなり切り詰めて生活していました。

例えば

  • お小遣いはなし
  • 新しい服を買うのは1年に1回だけ
  • 母は自分で髪を切る
  • 子供たちの散髪も母が担当

と言った具合です。

 

ただ、そんな中でも野球はやらせてくれました。

中学時代は『橿原磯城リトルシニア』というチームにも所属しています。

 

グラブが壊れても鍬原拓也選手は「新しいのを買って」と言えませんでした。

何度も何度も修理して中学3年間ずっと同じグラブを使い続けました。

 

さらに遠征費が足りないということもあったようです。

普通なら参加を諦めるところですが、鍬原拓也選手の母は近所を回って「息子に野球をやらせてあげたいので募金お願いします」とカンパを募ってなんとか工面したというエピソードもあります。

本当に苦労して苦労して野球をつづけてきたんですね。

 

そんな苦労の甲斐もあって鍬原拓也選手は野球選手としてかなり実力をつけていきました。

高校時代は北陸高等学校という私立に入学しています。

野球で実力のあった鍬原拓也選手は特待生として入学することになったので、授業料などは免除されていた可能性がありますね。

 

さらに大学進学は費用面で諦めようとしましたが、高校の監督の母校である中央大学に特待生として入学を果たしています。

スポーツで進学できるなんて既に親孝行ですよね。

貧乏でも諦めずに必死に頑張っていれば夢は叶うということを見せてくれた選手です。

 

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まとめ

今回は鍬原拓也選手の母や兄妹、貧乏だった少年時代の生活についてお伝えしてきました。

鍬原拓也選手は両親が離婚したことで、かなり苦しい生活を送ってきたんですね。

しかし母に強く愛情深く育てられ、貧乏でも幸せな少年時代を過ごしてきたようです。

 

夢が叶ったことでお母さんにはじゅうぶん恩返しができたと思います。

これからはもっともっと活躍する姿を見せて母を喜ばせてあげてほしいですね。