「熱海富士の高校や中学などの学歴や経歴が知りたい」
「熱海富士の学生時代の相撲の成績は?」
若干20歳で新入幕を果たした熱海富士。
初土俵から1年弱で十両昇進と勢いがすごいですよね。
本当に楽しみな若手が出てきました。
そんな熱海富士の学生時代はどんな感じだったのか気になっている方も多いはずです。
高校や中学はどこなのか、当時の成績やエピソードなども知りたいですよね。
そこで今回は熱海富士の高校や中学の学歴や、経歴について調査していきましょう。
熱海富士の小学校は?
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熱海富士の出身小学校は熱海市立第二小学校です。
熱海富士は千葉県出身で小学2年の時に熱海市に引っ越ししています。
驚きなのが小学校6年の時、すでに体重が100キロありました。
その体格をみて、母にわんぱく相撲への出場を勧められ出場しています。
いきなり優勝を果たして相撲にのめり込んでいきました。
熱海富士は三島市の『三島相撲クラブ』に通って稽古を重ねていきました。
熱海富士は5、6年の時の担任の先生とは今でも交流があるそうで番付表を送っているそうです。
しかしまだ熱海富士の番付は低いので先生が虫眼鏡で名前を探したことを伝えると「いつか虫眼鏡使わなくても見つけられるほど字を大きくできるように頑張ります!」と返信があったと言います。
担任の先生によると、熱海富士は6年生で100キロあったので学校の体重計を買い換える事態になったそうです(笑)
給食の時は山盛りで、いつも残すことなく綺麗に食べていました。
大きな体だった熱海富士ですが、跳び箱で回転技をしたり、ダンスを披露したりとアクティブに動いていたそうです。
さらに意外なのは熱海富士は手が器用で細かい裁縫やミシンも得意なんだとか。
『将来の自分』というテーマの作品作りでは紙粘土で力士の像を作りました。
このころからすでに将来の夢はお相撲さんだったんですね。
小学校時代の熱海富士のエピソードで1番驚いたのが卒業文集です。
『将来の夢』というタイトルでこんな文章を残していました。
ぼくは、将来力士になります。
横綱になって、土俵入りをするのが夢です。
そのために、中学校で、全国大会に出場し、高校では、強い相撲部に入部します。
そして、仲間と共に、全国優勝を目指します。
大学は、「遠藤」と同じ、日体大に入学し、相撲部に入ります。
そして、強い相撲部屋に入部します。
「序ノ口」から上がった、ニ十八さい「十両」になります。
身長は一八五cm・体重は、一九五kgです。
土俵に入る際は、前ケン体操をして、会場を和ませます。
スポンサーは、永谷園。毎日お茶漬けを食べます。
数々の技を習得するも、決まり手は、押し出しや寄り切りが多いです。
前頭首位で、逸ノ城や遠藤を倒し、かつて六年生の時に相撲を取った、大砂嵐を越えます。
四股名には、熱海を入れます。
けん賞金の一〇分の一を親にあげます。
引退したら、熱海で相撲部屋を開き、自分の相撲を来世に伝えていきたいです。
すごい具体的なプランですよね。
そしてさらにすごいのがきちんと目標を達成しているということです。
中学で全国大会出場や、四股名に『熱海』を入れるなど着々と達成していますよね。
28歳で十両という目標は、実際には19歳で達成しています。
熱海富士が人一倍努力してきた証ですね。
熱海富士の中学は?
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熱海富士の出身中学は熱海市立熱海中学校です。
元々は日本大学三島中学校に入学して柔道部に所属していたそうです。
しかし2年の時に相撲に専念するため熱海市立熱海中学校に転校しました。
3年生の時、全国中学校選手権で個人5位という成績を残しています。
中学時代の熱海富士も明るくて、クラスのムードメーカーでした。
みんなから「サクちゃん」(本名は武井朔太郎)と呼ばれて慕われていたそうです。
友達から、からかわれてもいつもニコニコして懐の深さがあり、周りを和やかにしてくれる存在でした。
中学の先生は「よくもあんなに優しい性格でここまで勝ち上がり、強くなったなと思う」と感心していました。
本当に優しい少年だったんですね。
その一方、食生活はすごかったようです。
一人で毎食米4合以上を平らげ、1リットルの牛乳を飲み干していました。
毎食4合以上とは本当に驚きの食生活です。
熱海富士の母によると2台の炊飯器がフル回転で米を切らさないように必死だったんだとか。
力士の中では食べるのが大変だという方も多いですが、熱海富士にはその心配はなかったようですね。
熱海富士の高校は?
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熱海富士の出身高校は沼津市の飛龍高等学校です。
1年生にころからレギュラーとして活躍しました。
体も大きかった熱海富士は『高校横綱に!』という周りの期待が大きかったそうですが、ちょうど感染症の影響でことごとく大会が中止になってしまいました。
しかし熱海富士はそこで腐ることなく、猛稽古に励んだそうです。
相撲部監督の栗原大介監督が「今日はここまでにしておけ」と止めるまで土俵を離れなかったと言います。
熱海富士は高校時代からさまざまな相撲部屋から声がかかっていました。
どこの部屋にするかは栗原監督の助言があったようです。
「プロに入って何を一番に求めるかで部屋を選ぶべきだ。お前は何が一番か」と問われ、熱海富士は「関取になりたい」と答えました。
そして熱海富士は相撲界でも稽古が厳しいことで有名な伊勢ヶ濱部屋を自ら選びました。
高校在学中に伊勢ヶ濱部屋への所属が決まり角界入りを果たしています。
3年生の11月には初土俵を踏みました。
さらに1月場所では序ノ口優勝
3月場所は序二段優勝
という素晴らしい成績を残しました。
熱海富士の学歴と経歴まとめ
今回は熱海富士の学歴や経歴などをお伝えしてきました。
- 小学校は熱海市立第二小学校
- 中学は熱海市立熱海中学校
- 高校は飛龍高校
でした。
中学では全国大会で5位という成績を残しました。
高校では大会が中止になってしまう中でも猛稽古を重ね、レギュラーとして活躍しました。
小学校時代から体が大きくて頼もしい反面、性格は優しく穏やかという人柄も魅力ですよね。
これからの熱海富士の活躍が本当に楽しみです。
大注目ですね。